教会で4年半前に受洗してから,豊かな気持ちが続いており,毎日豊富であるのだが,振り返ると受洗の前に豊かな時代があったのだ.なぜかというに,絶望を深く経験しており,音楽,文学,科学が混淆した,人類の至宝を堪能していたからだ.若い時に勿体ないくらい時間を啄んだので,その思いに浸るだけでいつもあの時の危険だが豊富な気持ちを取り戻せるくらいである.特に偉人の逸話は自分にとって勇気をもらうことの多く浸ることの長い話である.
偉人の代名詞アインシュタインが初めての婚姻関係を解消したのはなぜかと考えるに,妻に同業者であり蔑まれたためだという話はまだ自分に起こっていないが,軌路理論の価値を天秤にかけて結婚のほうを重いとするに至るに役立つ.また,アインシュタインの特許庁での勤続は我が父が良く知っていて意匠審査官を勧められていたが,芸術の道に進む気持ちでおり実現しなかったことがある.
チューリングに至っては人間性に深く悩んでいたらしいと知り,人工知能や計算機の立役者は自分を源泉に考えることが役立つと教わった.自分の中に探すことが唯一の思考法なのだ.これはウィトゲンシュタインに通じる.ウィトゲンシュタインは神経系の中にコピーが存在するわけではないところに誰しも至るとの言明を残したが,多芸多才さにかぶれて芸術の道に進もうとした美術予備校時代を締め括る没論文を茂野したことを後悔しない.
Wikipediaには多くの逸話が載っている.逸話の多い偉人こそ人類未踏の問題を解決し,可能性を広げた証を残す人である.これからを考えるに,まだ多くのことができることを多くの人は知らないでいるだろう.しかし,近代人の生んだ文明で生きる限りの時代には同様の思考法で偉人度を上げてしまえるのが手取早い.しかしはしかし,もうこれ以上生んでいられないくらいの知幅くらいを取り組んでほしいものだ.
