私の学歴は良い方だと思う.両親の薫陶の蔭で,何も難なく理学修士になれた.一方,職歴は最低賃金かそれに近い職場で長く勤めている.もちろん,これで充分に生活できているのは家族である妻の努力と,神さまの導きのためであるが,世間や電巷を探しても,余暇を楽しむという視点で学歴を見ている人は滅多にいない.私は,良い大学を出れば良い人生を送れる,と考えている.というのは,勉強をするほど勉強することが増えていくことはとても楽しいことだからだ.だから毎日残業してまで稼ぎたくない,という考えは私の極端なところ.
高校で倫理の教師が希羅時代の哲学の起源について講義していて,あぁ自分は将来味わうであろう余暇で充実した思索考察の時間をもちたいと思い,受験勉強をせずに大学程度の本を読み始めたのだが,周囲にそのように学問を見ている人は滅多にいない,そんな人ほど人前に出ないだけか,思索はひとりで行うものであろうし,と大学入学まで思っていたら,大学でも就職活動の開始とともに多くの学生は大学から去ってしまい,学問は孤独の中で培うものかと思ったものだ.多分この文で述べた思いの数百倍の内容は考えた.
専攻を図書館情報学に選んだのは,それに関心があり研究するためでなく,学問全体を人生全体をかけて網羅したいという目標が中高生時代で固まってしまったためで,図書館情報学の学生やエンジニアになるための学生にはなれなかった.大学院でどうしたら生涯を研究の時間にさけるかをよく考えて,収入を諦めれば,良い環境が整える道があることを考えた.新卒で入社して暫く苦労したが,数年前からその考えた道が実現する道だったと分かり,自分の人生はこれだ,とうれしくなったものだ.
自分は別段特別な人間ではない.脳に障がいをもっているから,変わった人ではあるが,本当に変わっている点があるとすれば,自分で考えた人生を30歳で早くも実現したという達成である.多くの人は自分の人生を「これで良い」と思う時期を経験すると思う.自分もそのひとりに過ぎない.けれども,最低時給に近い収入で研究に長い人生をかける生活をほぼひとりで過ごす,そういう生活を選んだということ.研究テーマが豊富にあり,課題の本を手元に積み,時間を惜しむほどである.こういう生活を選ぶ人が増えてほしい気もするし,実はすでにけっこうな数いる時代なのかもしれないと思うようになったこのごろである.
