両親のことを考えていてふと気づいた.26歳の時,仕事をしつつ社会人博士をとると目標を定め,駒場まで雨の中出向いたことだ.東大進学の話しはひょんなことで駄目になってしまったのだが,その後失職し実家で研究テーマを練り上げていた時,現れた今の妻に教会へ誘われ,受洗し5年が経った.
教会の外でも年配の方や子どもたち,自分のような障がいを持つ人たちと,振り返れば本当に多くの人たちと巡り合った.自分がやりたかったこと,学びたかったこととは,こういうことなのだと今更気づいた.教会こそ,自分に相応しい学校だったのだ.
もちろん,教会へ行って神さまのことを知らなかったら,研究なぞ今ほどには捗らなかった.「神がさいころを振る確率はゼロである」「測りえぬことについては信仰しなくてはならない」「存在するための条件とは膜で隔てられることである」といった物理学の公理を発見するためには,神さまを知らずしては達せられなかった.
この5年間でウェブという職能を身につけ,給与も頂き,この秋から国立の研究所に職を得た.さすがに研究員ではなく職員であるが,これまでの人生を顧みても,思い通りで達したいことはすべて達せた,ほんとうに恵まれた人生だというほかない.両親に孝行は遅れたが,まだ若いので,少しずつ返していけたらと思う.
