小さなころから網羅的に知っていたいという欲をよくかく.単に網羅的に知れるものに興味がわくのではなく,網羅的に知った時に満足の大きい対象を目的にした.国名,市町村名,郵便番号はもちろん,辞書が編まれているものには全て興味があった.たとえば星座の名前である.ラテン語からとられている星座の略符は天体が収められているカタログに登場した.メシエカタログには110個しかないが,NGCには7840個ある.このすべてについて星座名を特定することに2年くらい情熱を注いだ.それが私とデータベースの出会いである.周囲の大人からはそんなことしていて何になるのとよく言われたが.
大学では図書館学と計算機科学を専攻した.ここで挫折する.入学時に大量の蔵書の前で計算した.1日1冊読むと1500冊程度しか読めない.1冊読んでみる.1日では読み切れない本がたくさんあることは容易に分かる.全部読むことはできないのだ.バベルの図書館.網羅的に知れると思っていた自分を振り返る.漢字は書いて覚えればよかった.誰も知らない字を覚えても役に立たなかった.英語は英英辞書を読んで訳せばよかった.使わない単語を覚えても使えなかった.遺伝情報は検索すればよかった.誰も知らない遺伝情報を検索しても出てこなかった.いったい全部知ることはできるのだろうか.いや,全部を知るとは,そもそも知るとは,知識を持つとはどのようなことなのか.
計算機科学を修めた社会人のなかでも,網羅的に計算機を知っている人はあまりいないように,網羅的に知ろうとするエンジニアも少ないと思う.技術部録を漁ると最新ツールをうまく使った報告や,うわべのメモもわりと検索上位に来ることがある.そもそもウェブとは無料で読み切れない文献がソファに座って閲覧できる発明なので,すべてを読むことなどできない.ただ,すぐに探せるように組織化してあれば,半分は知ったことになる.頭から知識を引っ張り出す時と同等かそれ以上の速さで検索できたら頭に入っていることと同じ価値があるわけだ.
設計者は設計物の語彙を全て知っていて細部にも責任をもつものだと美術学校で習った.来週ウェブデザイン技能士の試験を受ける.過去問では平均して8割弱とれているので手応えがある.物理学で知ったが,全てを知る方法はある.知識をもとに考えて実際に作って試してみれば,正しい知識を導ける.全てを知りたくなるが,ウェブはいつでもその全貌を開示しつつ,全てを現すことはない,ただし全て特定の文法で書かれた文書なのである.奇怪で興味が尽きないでいる.
