最近は以前ほど部録を書かなくなり,音楽やYouTubeで過ごしていた.その反面,仕事にすっきりと臨めることが難しくなった.薄らとした疲労が脳天を漂うような感覚.慢性の怠さ.怠さはコロナ禍だからほかの人たちも感じていると思いやり過ごすも,やはりその曇りは自分の思いや考えである気がして,以前のように部録を毎日の頻度で残していた時の爽快さを感じたく,また再開しようと思い始めている.
書くことで明確になる思いは,考えを形にする習慣を養う.思えればそれは実現できることだ.書くことは思いをはっきりさせ,翌日は異なる発展を見せても,突き進んだ展開が開けても,一向に構わない.誰も期待していないし,望んでいないし,変革されるのは自分だけだから.私はこの人畜無害の自己変革を起こす精神の力を信じたい.せっかく与えられている力だから,発揮し続けねば勿体ない.
勿論部録だから,ウェブで公開するので,突っ込んだことは書けない.誰かに対する思いなど正直に書けない.固有名詞ももちろん書かない.そういったマナーは守る.この部録は検索機関に掛からないよう設定しており,URLを知っている人でなければ索接できない.なので紙式の日記とは書ける内容が異なる.しかし,その性質を逆用し,自分の望むことを素直に書く習慣を付けるには最適な道具だと思う.
書くことですっきりした精神は,次の関心へ止まりに行く.好奇心とは精神の空腹だ.人が食事を喜びのひとつと捉えているように,好奇心は精神の喜びである.新しいもの古いもの,変わったもの当たり前のもの.人類が考え作り上げてきたいろいろなものを,丹念に調べ楽しみ,深く推論し,知見を得る.この活動は精神を若く保つ方法である.そして,この過程を書き物に残すこともまた役立つと思う.
