今朝はおつかいで文房具と清掃用品を買いに駅まで散策した.どうしても資産形成の辛さを考えていて,30代で1,000万円を持つ苦しみについて考えを巡らせていた.最近は保有銘柄の値下がりや暗号通貨への投資などで100万円近く減らしており,1,000万円が手元にない状態が続くことも苦しみであると感じていた.街を歩く人たちが目立たない風采ですれ違っていく様を見て自分の経済観念は甘いんだなと考えさせられた.
買う物を買った帰り,ふと空を見上げて遠くに見える街を見遣った.私はこの街に生かされていると思った.私の育った街は私が子供だった頃の街の記憶だ.その頃の印象の仕方を思い出したのである.身近に感じられる街の家並みや木立,建設や引越しや運送でこの休日も働く人々.普段平日の午前に出歩かない故に見ていなかった光景のひとつひとつが,私にこの街で暮らしていることを思わせてくれた.
それを思うと,個人資産の多さなどどうでもいいのだ.年金生活者になったって,収入内で暮らすようになる.貯蓄や金融資産はあれば幸運程度のもので,未来の先端医療に使う程度のもの.今身を粉にして悩みつつ形成するようなものではないはずだ.ここ数ヶ月赤字に近い家計が続いていたこともあり,資産額を伸ばすことに専心していたが,そんなどうでもいいことにこの若い時間を費やすのは勿体無いと思った.
今1,000万円近い資産があるのだ.この調子で良いから自然と貯めていれば老後は素晴らしい時間を送れる.そう保証された心地になり,今少し使い過ぎていると感じていても,節約しようと思い立っても,どちらでもいいと考えることにした.今買った方が幸せを弥増すと判断した時は糸目をつけずお金を出し,今はいらないと結論づけたなら無駄なので出さない.その程度の習慣で良いのだ.そんな休日の午前である.
