文化を過度に消費している.YouTubeやウェブによって,無償で過去の遺産を楽しめる.その消費速度が早まっている.一度消費しても飽きないものも多くある.何度も同じものを視聴することも多い.でも,この速さで消費していったら,10年後楽しめるものが減ってしまうのではと惧れている.そのためにもっと楽しめる10年後に備え,楽しみ方を考えておきたい.この危惧は杞憂だったと笑うに違いない.
1.練習して自分のものに
音楽を志した人なら,練習が一生ものだと知っているだろう.楽譜を見てまず歌ってみる,これができるまで数十年単位の訓練が必要となる.つまり,音楽演奏を消費し過ぎて音楽を楽しめなくなることは,やってこない.むしろ,歌ってみて曲を知るほど,難所がわかり親しみも増し,同じ作曲家や同じ時代の曲にも関心が広がるだろう.鑑賞ばかりでは飽きてしまうというなら,練習してみたら良いのかも.
2.定番化
毎日のルーティンの中に,同じ作品に親しむ時間を組み込む.そうすると,空気や光や水のように,無限に存在している資源のような存在になっていく.自分と同化するのである.年末の第九が毎年あれほど盛り上がるのも,定番を期待するからである.習慣になってしまえば珍しさは減るだろうか.いやそんなことはなく,むしろ新しい発見が隠されていることに気づくだろう.印象は聴くたびに異なるのだ.
3.絞る
ひとつのカテゴリに触れて,飽きてしまったら別のジャンルに手を出す.これではおそらく楽しめない.深くならないからだ.多くを浅く知るより,絞って深く知るほうが,楽しめると思うのだ.消費とは,一度買って終わり,ということ.一度視聴し,もう2度と聴かないなら,作品がいくらあっても瞬時に終わりゆく.本当に好きで愛するなら,一度では我慢ならない.何度も触れることが愛好の徴である.
4.細かく見る
本を読んでいて気づいたのだが,1冊の本を永遠に楽しむ方法がある.それは,文字や単語を単位として,それらがなぜこのような順序に並んでいるか考えることである.文章だけでなく歌曲も同様で,この音符がなぜここでこのような音型として挟まれているか考えることである.もしひとつの作品しか与えられない環境にいるとしたら,私はこの方法で何年間も楽しむ余裕がある.楽しみには限がない.
5.創作
自分の視聴したい作品が尽きたとしたら,自分で作る.王道である.誰でも人生は満足するまで作品を作り続けるには短すぎる.何千曲と書いた作曲家や,何百冊と出版した作家も,表現の源泉が涸れることはなかった.もし文化に触れ過ぎて楽しめなくなっているなら,自分で作ってみる.そうすれば,今まで触れてきた作品が異なって見えてくるだろう.消費していた作品は,下僕ではなく師匠だったのだ.
