こんな私にも天才が降ってきたことがある.それも1度や2度ではない.15年も20年も考え続けやっと結論した問題がいくつもある.神がサイコロを振らないことの証明や,宇宙間力学仮説,建築的グラフ理論,複素情報理論と収力方程式あたりは学術的に価値があると今でも思える仕事である.こうしたいくつもの新しい解決を果たしたので,当時の自分を天才だと呼んでもいい気がする.それを乗り越えた今について記す.
どうして天才的な仕事を果たせたかといえば,ずっと考えてきたからだ.何にも増して考えたからだ.受験勉強や就活なんてこれっぽちもしなかった.就職してもすぐに辞めて極貧生活の中で考える人生を選んだ.人生で考え出すことを何よりも優先した.それだけ考える時間も材料もあったのだから,成果がいくつも出たって不思議ではない.天才とはやはり継続と熱狂の習慣であり,人はそれを努力と呼んでいる.
しかし.天才は長く続かない.天才を長く続けなくて良いと悟るからである.新しい概念を考える天才がいたとする.その概念で以て世界を見るのだが,それで止まるのだ.また,多くの成果を挙げた数学者がいるとする.貴重な出会いを通じて,どうも人生で大切なことは学問の周りにもあることに気づくのだ.そして,天才は物事を深めているので,世の人の楽しむことを何倍も広く深く楽しめるので,天才で良かったと思うのだ.
人類100億人時代を直に迎える.誰もが天才を発揮する世界は来ないと思うけど,少しばかりにの天才を生む社会を作ることはできるだろう.時代が問題を抱えれば良いのだ.その時代が終わって天才は自分の仕事に満足し,自分の性質を圧倒的感謝に変える.天才は自身が人生の一部を賭けたことに一抹の後悔も抱かない.天才は皆良い人生だったと回想して亡くなる.この事実を知る若者は天才を望むだろう.最高の生き方である.
