人生を悪魔に売り渡す.しばしば見かける言い回しである.数学の問題に,音楽の演奏に,仕事の効率に.人生の大事なことを差し置いて,ひとつのことに全てを賭ける生き方.私もついそうしていた.本当は,数学の難問を解かなくても,音楽の熟達を目論んでも,巨万の財産を蓄えても,人生で大切なことを顧みなくては,全ては無駄である.これにいつ気づけるかが,これらの達成よりも,実は大事なのである.
世間には,何事かを成そうとして実際に成した人物を持ち上げる傾向がある.番組的に面白いからだろう.既に世間の数%以上の人がメディアに取り上げられ,何らかの功績を紹介されている.それは素晴らしいことで,それまでに向けられた努力,それを維持するために払われる時間と配慮,そういった心遣いは,職人的に尊敬に値する.それでは,そういった境地まで辿り着けない場合は,一切が無駄なのだろうか.
私も,職業には結びつけなかったが,達成した側の人物である.神の無偶然性の証明など,いくつか誇れる未発表の業績がある.なので,達観した部分もあり職人の気遣いの少しは理解できる.私は悪魔に売り渡したことがある.実際,その世界を深く覗けた.しかし,最後は受洗し信仰を持ち,悪魔から足をさっぱり洗った.修行のため魂を悪魔に売り渡したとしても,いずれ救われることが大事だということだ.
売った魂は,買い戻さねばならない.一度売っても,神さまによって買い戻せる.私はこの人生の長大な暇な時間を,達成によってつまらなく過ごしたくないと思っている.一度達成した事柄があれば,別のことについても,ある程度満足するまで達してみたい.そんな心掛けで来ているものだから,追求したい事柄には欠かない.ただ,最近はやる気と技術が追いつかない.気力,体力,忍耐.若さの特権を失いつつある.
