20代はまともに思考できない時代を過ごした.高校生だった頃から大人びた思考ができる人は多かったように思うが,私はそうできなくて,そうする必要も感じなかったので,恵まれた環境にいても彼らから学ぶことはできなかった.今思い出そうとしても,20代の記憶は非常に断片的瞬間的でしかなく,一貫して自分がどういう人間だったか推定できるものはない.実際病人だったから仕方ないとも思う.
そんな私も,30歳を過ぎた頃には落ち着いてくる.そうしようと努めたからだ.信仰を持ったし,結婚し就職したからだ.若い時の思考を続けることはできたが,神の前では無意味どころか悪害であると悟り,率先して捨て去ろうと努めたのである.今はこのように思考がまとまりのあるものになり,人格が統合されてきて,実際に病はほぼ癒え,安定した日常を送っている.これほど平穏な時間はそれまでなかった.
20代は創造性に輝いていた時期でもあった.価値のあるものができたかといえば,数個の業績は挙がる.これは多い方なのかもしれない.人生で最も打ち込んだ問題に対し答えが得られているというのは幸福なことである.私がまともに思考できなかったのは,この未知の問題を解こうと欲したからであり,方法も環境も手探りで模索するしかなく,答え自体も独創性を要求するものだったから,致し方ないことである.
私が病的な20代を過ごしたことで,周りの多くの人には迷惑がかかっていたことを認める.その謝罪を,この未知の問題の解決が代わりにならないか思案することがある.何も価値のない人間ならただの迷惑な人物だが,何か顕著な業績を挙げる人物なら,誰もが少しは許してくれるだろうという思惑だ.そうでなくても,これからきちんと私の道を生きていくと決めているから,それで許してくれる人が多いことを祈る.
