捨てるという行為は,精神を磨いてくれる.自分を磨く上で最も効果的なのは捨てることだと言っていい.買った時に使ったお金が,どれくらいの労働の対価であって,買った時の軽薄な判断のせいで,この商品が捨てられることになってしまった.その商品は誰かが仕事で作ったもの.活躍できなかった商品自体にも申し訳ないし,商品を作った側に利益が持っていかれた格好だ.一方的に吸い取られることが消費であるかのように.
消費するとは,お金も時間も空間も失うことである.失ってばかりの行為にどうしてなけなしのお金を払うのか.よく考えると理解できない.退屈を紛らすだけなら,手段は無料のものが多い.それでも,物を消費しようとするのはなぜか.消費することを目的に労働し,購入することを無上の喜びとするのは,本質からだいぶずれている.なぜなら,消費する物は,減って,いずれ捨てられる程度の物でしかないから.
捨てると,消費のからくりに気づける.私たちは物を得るために働いている面がある.でも,買える物を目的に働いては虚しい.だって減る上になくなるし捨てられる物でしかないから.時間も空間もお金も吸い取るのが消費なのだ,そんなに大切な物に投げ打ち,物と付き合うためにお金を差し出すのはわからない.それほど人間は退屈で,退屈に耐えられないということなのか.ならば退屈を紛らす術は同時に節約の手法になる.
物を減らすと見えてくるもの,それはお金を使う判断力のなさだ.私たちはついすぐに買う判断をしてしまいがちだ.咄嗟にトリガーが弾かれ,軽い気持ちでお金を払う価値を感じてしまう.これを繰り返すだけ.それが買い物の真実である.この資本主義の世でお金を守ったり健康に働いたり心を整理するには,一度この構図を発見し理解し,俯瞰して見ることが大切だ.そうすれば購入行為が捨てることと直ちに結びつく.
