仕事終わりにセネカを読んで,港の方面にあるUNIQLOへ靴下を求めに歩いた.セネカは貧しい人たちは多数派なのだから軽んじてはならないということを丁寧に述べていた.歩いていてそのことがとても心に広がり,私も金持ちなんかにならずに貧しい人のうちのひとりとして少ない資産で生きていこう,そのほうが幸せだろうと思うようになっていた.質素な暮らしをすることは大切だが,そうする目的こそ大切だ.
質素に暮らすことで財を成そうとするのは,私には合わない.質素に暮らすのは,質素に暮らしたいからであり,その生活そのものを求めるからである.つまり,収入の半分を貯蓄するためではなく,むしろ収入を半分にして自由になる時間を買う方を選ぶ,その方が質素に暮らす目的がはっきりするように私には思える.自分にとってちょうどいい資産額は,私の場合は数百万円もあれば充分であると感じられる.
今の職は有期雇用なので,いつまで契約できるかわからない.もし定年まで雇用されるならそれで良い.しかし,そうでない場合は.私は学生になりたい.今の資産を学費に理学博士を取りたい.勤続経験を活かして転職は同業種でなら容易だと思う.博士を取れたら,その研究で本を書いて名を挙げるか,もう一度ウェブの仕事に就きたい.いずれも実現できる夢だ.雇用契約が切れても楽しい人生が待っている.
UNIQLOからの帰り道,高層マンションや自動車ディーラーの並ぶ街路を歩く小綺麗な通行人を見ていても美しいとは感じず,何かどことなく作られた,経済条件のもたらす物によって規格化された,つまらない模造物のように思えた.人間が模造物に包まれて暮らしている,それが都市だ.そう思うと,資産を持ち都市で暮らすことに夢はなく,貯蓄のない下層民でも学問を持ち豊かに暮らした方が幸せだと思ったのだ.
