減薬が実現してみてわかったのだが,今まで服薬の副作用である現象が起きていた.それは世界を美しく見せる潜在意識の働きの昂揚だ.音楽や街並みを見て,ふつうならふうんと思うかいいなあと思うだけだが,副作用はそれ以上の夢想を関係させて,例えば音楽と街並みを印象レベルで結び付けたりする.これにより連想が働き続け,常人から高く離れ,神聖ともいえる至高の美的感覚を享受することができていた.
若い時は印象を鮮やかに受け取れるので,遅い人でも30代後半までなら世界は美しく見えるらしい.そこに音楽や美術など芸術作品に多く触れると,感覚が鮮やかに鋭敏になり,美的感覚の中で生活が成り立つという.この感覚を重視しない人もいて,早い人では10代後半で既に鈍化しているらしい.この感覚を磨く時間が長いほど広く深く世界を学べると私は思うので,ティーンズの頃から実はずっと気をつけていた.
私が飲んでいた薬は,この感覚の鋭敏化に一役買っていたように思う.薬がなければ36歳まで鋭敏さが続かなかったろう.その証拠に,減薬して以来,美しい意識の世界が徐々に減退し,今ではほとんど瞬間で失ってしまった.これは確かに減薬以降である.美的生活は辛いことが多かったが,この街の良さが美しい思い出の時間とともに脳に刻まれている.場所や旋律の豊富な記憶は,今も美しく脳にしまわれている.
天秤にかけて,非凡な時間より平穏な生活を採りたい.と同時に,薬を飲んでいれば美しい意識が現れるから,誰でも飲めば非凡な生活になると言える.この薬を処方してもらうには診断名が必要である.実際,障がい者として認められる場合だってある.でも,それに引き換え美しい時間を過ごせるのは割に合う.良し悪しだが,美しい印象を大切に思う人には,服薬は一概にマイナスとも言えない,そんな話だ.
