自分の時間を持てる人は,自分との戦いを経た人だろう.ひとりの時間に何かをするには,ある程度の訓練が必要だと思うからだ.例えば,ひとりの時間にフーリエ変換の動画を好んで見て楽しむような人は,数学への好奇心が育っているし,研究意欲が枯れていないし,周りに流されない自分本位の生き方をすでに体得している.逆に,人気のエンタメ動画を消費する人は,流行に乗っているので性質が異なると思う.
話題のものや流行のもの,人気で有名なものに惹かれる心理は,現代のメディア慣れした人は誰でも持っていると思う.でも,それだけがものの価値ではない.現代の国民文化だからといって,漫画やアニメやゲームやアイドルに関心がない若者もいる.クラシック音楽や学問や聖書をこよなく愛する若者もある.どちらが優れているということはないけど,何がその人の幸せを形成しているか観察すると違いが歴然とする.
これは一見,何が好きかという違いではある.クラシック音楽や学問や聖書も,かつては流行の文化だった.こう考えると,文化の時代が異なるだけに見える.古い文化を愛するか,新しい文化を追いかけるかの違いということだ.しかし,これらの間にある懸隔は何だろう.自分が好きなことを得たところは共通する.好きなことを得るには自分と戦う必要があった.その結果として好きなことを愛するようになったのだ.
人間は多様である.何を好きになるか,どんなきっかけで気になり始めたか,どのくらい深く追求するか.この人間的活動は,深く興味を惹く.なぜなら,その愛には長い苦闘が隠れているからだ.自分との葛藤,好きなことを見つけそれを確立するまでの人生を賭けた戦いが必ずあるからだ.もし好きなことが見つかっていない人があれば,その人は静かな戦いの経験が少ない.好きなことは自分と戦って初めて見つかる.
