貯めていても仕方ないと気づいた.お金を増やしても仕方ないとは思っていたのだが,ついに使わないのも我利な気がして避けようと思う.使わずに多くを貯めることに問題の焦点があるのであって,自分のためだけに使おうと考えたのではない.だから,長く使えるような物を買うほか,家族の思い出に使ったり,友人や同僚とのイベントに使ったり,教会などに寄付献金するのに使うだろう.とにかく,意味もなく使わずに貯めておくことをやめようと思う.
そもそも,私はお金持ちになりたくない.大金があったからとて使いたいことが教会献金のほかにない.献金のために投資してきたようなものだ.投資はうまくいっていない.株や投資信託が値下がりしている.それらを売るつもりもない.上がるまで持っているつもりだ.別に投資先が倒産してもなんてことない.もともと減るようなお金だったのだ,投資先が有効に使ってくれたから今まで株を持ち続けられたのだ.その程度のこと,人生の笑い種だ.
投資して10年,お金に対しておおらかになった気がする.数百万円の損がなんのその.大金に目が眩む意味が分からない.お金に対する欲が悉く制御できるようになり,物の価値は分かりきったとは言えないだろうけど有意義に使えていると思う.ほしい物を我慢することはないし,節約がなんなくできる体質が身についた.ほしい物がなかなかないのが問題だが,長く使える本当に良い物をこれから少しずつ買い足して本当に長く使っていこうと思う.
同僚の多くや地域団体の仲間が60代以上の先輩なので,いろいろ質問させてもらって参考にしている.30年後は経済の事情が変わるかもしれないが,変わらないことも多いと思うのだ.先日は10年履いても綺麗な状態の革靴を見た.BEAMSで買った本物だそうだ.合唱団の先輩を見ると文化資本の蓄積こそがお金以上に大事だと感じる.私は世の平均以下の収入しかないが,世の平均をかなり下回る支出しか必要としない生活を送って満足できる自信がある.
