今日は黄金週間の1平日.午前に近所の家並を散歩し,道が適度に照っていた.母の日のギフトを選びに行った足で,ビーツとアオサともずく,そして妻の欲するドーナツとホワイトエールを買って帰った.セネカを読んだ.そうして過ぎていった午前中がすごく幸せだった.定年後どんな仕事で暮らそうか,雇ってくれそうな職はあるか,健康でいるためにどうすればいいか,妻や牧師はやはり先立ってしまうのか,など考えた.
5月の日差しは適度に心を幸せにしてくれる.いつも歩き慣れているはずの街が優しい明るさで映えると,私は今すごく幸せな街で暮らしている気持ちになれる.隣の街まで歩けば尚更この街が幸せな場所であり,落ち着いて静かで平穏な生活が続いている街なのだと感じる.セネカを読んで思うのは,心の安定と平穏こそ人生に幸福をもたらすもので,決して富や成功や名誉などではないことは何よりも明らかなのだ.
職場の以前の女上司への負の感情が,最近感謝に変わってきた.その上司は上昇志向で,アイデアをプロジェクトにして気分で次々実行している.その働き方はこれからも変わることはないだろう.でも,その働き方を見ていて,私が誰であるか考察を深めることができた.私は仕事での成功をそれほど望んでいないこと,仕事への意識が高くないこと,人生において仕事の優先度が高くないことなど,私は気づくことができた.
一般に自己啓発書で説かれているような働き方が誰もにとっての正解ではない.望む生き方に正解はない.これに気づければ,その人らしい生き方を模索できる.私はこの地点を通過できた.私は私らしい生き方をこれから探っていく.世に言われる正解線とはおそらく大きく外れて生きていく.でも,そうやって生きていた先達はセネカを始め幾人も知っている.その人たちの考え方を本で参照しながら長く生きていくのだ.
