こだわろうとするほかに,道はあるのだろうか.残る労働人生でずっとお金を稼いでいくわけだが,もう食材のほかに使い道が残されていない.お金を使うことに希望が持てない.余程余ったら京都行くべきかとか考えざるを得ない.もしこれから年収が上がるような事態になったら,私はどうすればいいのだろう.妻にあげるか,教会献金を増やすか,適当に金融商品を買うか,その選択を面倒にもしなくてはならない.
毎月定額のお金を収入としてもらっている今の暮らしである.買いたい物が特に思いつかず,必然毎月余る.多分世間の人たちは住宅ローンや子どもの費用や親の介護医療費や車の世話に使っているのだろう.それは立派な使い方だと思う.でも私は今そのどれにも該当しない.だから積み立てておくべきだと人は言う.妻が働けなくなった時のために,両親が老人ホームに入所する時のために,自分の老後のために,と.
お金が難しいのは,持っていることが見えないところにある気がする.いくら持っていてもどのくらいの価値を持っているのか認識しにくい.10円のガムがいくつ買えるかと子供は話題にするが,そういった具体的な計算ができればわかりやすい.でも,普段の収入がどのくらいの価値を持つのかについて,世の平均や人との比較というスケールを用意しないと認識できない.お金自体の価値はいつ何と交換するかで決まるからだ.
お金の価値がこれほど見えないのだから,お金にはそれほど期待する価値はないと考えてみてもいい.お金をもらって喜ぶ人に自分のお金をあげてもいいことになる.今はそれでいいと私は考えている.お金の価値は相対的でもあるからだ.1万円も足りなくて生活に困っている人と,1億円ある人の使う1万円では,同じ1万円の価値が全く違う.お金は必要とする人の元へ流れるべきだし,私はその流れを作る人になりたいと思う.
