今日は診療の日.主治医に憂鬱な日々を乗り越えられた話をしたら,反応が良く,今回の克服は自信にしていいと感じた.診療にかかって20年近くなるが,今回ほど行動と思考によって,つまり勉強して実践したことで軽くなった経験はない.工夫したし学んだことも多く,成長できたと思う.今では,憂鬱のきっかけとなった牧師の諫言や,新しい上司のパワハラ様言動や,その他の人生で初めての出来事たちに今は感謝している.
最も学んだと思うのは,言葉の取り方だ.人の言葉をどうにも受け取れるのなら,良く解釈したい.マイナスに受け取って気分を害するのは勝手なことだと思うようになった.どうとでも受け取れる心の自由さを常に持っていたい.さらに,自分の思うようには相手は決して思わないことを固く学んだ.人の話を聞くだけでなく,私も話さなければならない.これはASDの私にとっては大きな発見で,相手が自分と同じではないと学んだ.
自分がこう思うから当然相手もこう思うだろう,これが常識だと考えてきたのだが,これが崩れた.そして,崩れた方が正しい.しかし,私は自分の思いがないことが多い.それをどう表現していくべきか,まだ良くわからない.思いというのが何なのか,良くわからない.思いがある,という状態がわからない.わからなくていいなら何も話せない.この辺りが,私の言語の不自由さの根幹にある.だが,この問題は解決できると思う.
思いがなくて話ができない人は,私の他にも多くいると思う.私がこの問題について考え取り組み,何かテーゼのようなものを発見したとすれば,その人たちの役に立つかもしれない.だから私は密かに,この問題を問題であると設定し取り組みたい.思いを流暢に話す方法である.ほとんどの人は考えなくても話せているが,私はこれを理解しないと話ができないたちだ.重要な問題が見つかった.手元の文献から研究を始めてみたい.
