クリスチャンにも苦しみはある.自分に関する闘いである.栄光を神に帰すために,自分を砕かれることである.世は自分を大切にと言いすぎて,自分を中心にものを考え,自分が最も大事かのような世界で生き,それがふつうのことになっている.近代の最大の誤りであると思う.自分を主人とすれば,欲が悪に接しても気づかない.どんな行いも正当化できてしまう.自分こそ正しいと考えるために,知恵も知識も費やされる.
世が自分軸でものを言うたび,クリスチャンは気をつけなくてはならない.世は自分軸を確立した人たちで溢れていると想像して良い.自分が変わったら人の見方も変わってしまう.あの人,変わったね,と言われる人は,自分が変わったことで世界の見方を変えてしまった人だ.自分が基準だったのだ,自分こそ万物の尺度だと.世には自分しか認識できるものがなく,自分が自分自身を最もよく知っていると思い込まされている.
でも,クリスチャンはそう考えない.自分自身を最もよく知っているのは自分自身ではない.神だ.神は髪の毛一本まで私をよく知っている.私はそこまで知らない.この世界は神が造り,人はその一部を作り変えているだけにすぎない.神はいつも変わらず人を愛して見守っているので,私がどんなに変わろうとも,私は世界の見方を変えなくていい.本当に信頼できるのは,頼りない自分軸ではなく,神を中心とした世界観だ.
世の言説に注意を払うだけで大変である.若い人の語るノウハウにも,自分軸での語りが多分に含まれている.精神科治療の定説も,自分中心主義で塗れている.それではいつまでも幸せになんかなれない.そんなものが真実であるはずないだろう.どんなに魅力的に聞こえる自分を大切にする言説も,時間をおいて離れてみれば,不幸の穴に閉じ込めるだけで,神を見失う.心や頭から神を消した人の言うことは信じるな.
