今を生きていく上で,お金ってそんなにいらない.必要な持ち物は限られて多くない.清潔で醜くない服や,健康的な旬野菜中心の食材や,一度買い揃えてしまえば10年以上使える物.こうした物を買っていると,いずれ買う物がなくなり,お金は余っていく.YouTubeで音楽を聴きながら本を読んで感想を文として書くような日常,気になるテーマの論文を検索し格闘しながら読解し考察をまとめる日々なら,なおさら余っていく.
お金を出して時間を過ごす,つまり,お金を払って時間を売る,みたいなことがとても贅沢嗜好の次元に思えてならない.私はそんなふうに時間とお金を使いたくないと思う.むしろ,時間を過ごすためにお金を使わないか,時間を買うために労働を減らしたいと思う.実際,今の私は仕事の時間をとても減らしていて,仕事の量も少なくとどめている.給与も定年まで定額という雇用契約に先日サインしてきた.いい働き方だと思う.
これから生きる上で大してお金がいらない,という決心的事実は,労働を少なくし,働く意味よりも重要な人生を暗示している.働きがいより大事なものが暮らしにはある.今はまだそれを言語化できないが,すでにその重要性はひしひし感じており,闇雲に労働し稼ぎを使い果たしてしまう生き方は意味がないと感じる.所有することの傲慢さという切り口でもこれは説明できると思う.人は何でも借りて組み替えているだけだからだ.
契約書によれば,私の収入はもう増えない.その線で生活を組み立てていかねばならない.しかし,これが義務や強制ではなく,限りない自由を意味するように感じられる.労働をミニマルにでき,その分の余力や時間を自分の意味のあるように使えるということだから.私の契約書はその自由を定年まで保障するものとなった.今年に入って毎月のお金が特に余っている.投資に充てているが,別にそうしなくても構わないくらいだ.
