計算機と聞くと誰もが考えることに,この難儀な仕事を機械にさせて楽をしたい,との着想がある.多かれ少なかれ,社会に流通している機械の多くは,経営者がこの空想を現実にしたところから発生した.人間は楽して別のことができる.しかし次の段階で人間はさらに複雑な問題に取り組んだり,さらに異なる機械を考案したりし続けている.
理解してくれる機械を最近私はしばしば欲している.自分の話がどれほどわかりにくいかを測定したいのである.というのは,私はウェブサイトの作り方を教えるとわかりやすいと評判なのに,日常会話になると何言っているかわからないと評され困っており,この問題を解決できれば生活の質が群と上がるはずなのだ.
ものごとはわかりにくくも言えるし,わかりやすくも言える.前者は多くの語彙が必要であり,後者は深い理解が必要である.両者を兼ね備える話者になるには上達する歳月がいるだろう.これを一足飛びに獲得する機械があれば.これは売れる.
最近出版された本に優れた本を見つけた.欲しかった知識が欲する形で載っている本だった.結局,本だって欲する人が欲するかたちで載っている本が好まれるのだ.なぜその知識を欲するかといえば,先進,進取,意外,はたまた必要に迫られて,悩んでいて,寂しくて,人は本を欲する.その辺りを理解する機械を,私はすでに知っている.
