最近,いじめの記事をウェブで探して読んでいる.教会で子どもと話す機会があるのだが,自分は教師に相応しくない人物なので,どうしていくか困っていた.日本語の会話さえ碌にできないので説教はとてもできないし,子どもたちに何かあった時に頼りにはなれない.しかし,それではいけないので自分で考えるしかなくなっている.
私は高校を転学している.学校なんか無理して通う場所ではないと思っていて,社会人になって数年すれば,社会常識がついて人生は安定すると思っている.しかし,それまでの30年間は頼れる人を作らなくてはならないと思う.それが私にとっては本であり,親や教師や友人ではなかった.神さまのみことばに触れてから,本当に安定してきた.
この社会の仕組みを分からないうちは,親や教師や友人の一言で,若い心は変わってしまう.教会や地域の団体など,さまざまな人と話ができる機会がないと,この時代ではうまく成長できなくなっている.生きにくさは世界の狭さである.社会人となる30年間は,悩んだり閉じこもったり自殺を図ったりと,ネガティブな思考や行動をとりがちだけれども,何とかそこから立ち上がる力をくれるのは神さまである.
神さまはいつもみている.なぜきょういじめられたのか,神さまは全て知っている.しかも悪い結果ではなく,利益となるようにいじめられたのである.神さまを知らないとこの時代はとても生きにくい.そのことを教会で伝えていける教師になれば,神さまも喜んでくれるだろうか.
