社会人になってから知能検査を受けたことがある.発達障害と診断された根拠はその疎らさである.幾何や文字など,自分でも得意だと理解している部門については,ふつうにIQが160~180とかあったのだが,不得手とする点では80足らずの知能指数であった.80以下ということは知的発達の遅れを意味する.幼稚園に戻ってやり直してこいとよく言われるのだが,何度幼稚園に入り直しても同じである.障がいなのだから.
発達障害,特にASDの診断を食らう人は,このようにIQの値が分野によってばらばらであることを特徴とする.程度の高い人ほど,障害者手帳の等級も高い.僕は180のものと80のものがあり,しかも2部門については回答を拒否したため,がたがたさが高かった.それで精神2級と認められている.いろいろな生きづらさは,発達障害の程度が高かったことによることを知れたとき,半生の出来事の説明がついたものだった.
きょうも方角を間違えたために,暑い中大切な知人を遠回りさせ,長いこと歩かせてしまった.帰宅しても妻から籠のバッグを持ってきてといわれてカーゴパンツを持ってきてしまった(僕は耳も悪い).こんなことばっかりで嫌になることもある.儲けようという気持ちがないなら株なんかやめたほうがいいと何度か忠告されたが,やめずに来た.最近やめ時もあるかと考えるようになったが,始めてしまったもののやめ方は難しい.
自分の役割は何かと考えてみる.社会で役に立つには,自分の得意なことをして喜んでもらえればよいと学んだ.苦手なことは克服できないものかもしれない.そう思えば,できない人に対しもう少し優しくなるかもしれない.高ぶってしまわずに人と対する方法を考えることになり,自分はまだ考えが浅いと思った.どうやら神さまは能力の不均衡を僕に与えてくださった.その状態をどのように活かして生きるかを課題とさせてくださったのである.
