部録を持っています,というと(承認欲求が高い人だ)と面倒くさく思われることがある.承認欲求を満たすために,部録は最適である.意識高い系の部録を読んでみると,通痛や顔本などSNSのボタンが必ずあり,多くの人に向けて締め括る文で終わっている.恰も一廉の界隈ですっかり有名になっているかのようで,実際にもそうなのであろう,どのような評判で有名なのかまでは知れないが.
自分も部録はたくさん書いてきたし,今もこの記事を暇ができたらすぐに書いているので,部録を書くことは生活の中枢に含まれている.だから自分も世間では意識が高い人たちの中に入るかもしれない.しかし,重要なことに,自分の部録はほとんど読まれていない.読者は片手で数えられるくらいの数であるにもかかわらずSEO対策を講じていない.有名になろうとか儲けようとか思わないのである.
自分はいくらか考えることが好きなたちで,考えたことが誰かの役に立てばうれしい,そう思って記録を公開している.書き物の一部が誰かの人生に豊かさを加えることができたら.というのは自分が青春時代に級友たちの書き物でたいへん豊かな気持ちになった.その原体験から,読みたい人はいつでも読めて,かつ多くの人に読まれずに,特定の人を満たせればそれ以上のことがあるかと考えるようになった.
ウェブの重要な機能に,大事な秘密も隠せる,それも大片に公開したまま隠せることが挙げられる.木の葉は森に隠せ.この部録の読者も,今まで自分で作ってきたものの閲覧者も,とても少ない.しかし,増やそうとは思わないし,もし増えてきたらいつでも隠れる用意をしている.大事なことは隠れている.検索機関による収集にもかからない大切な記事は,一見探しにくいものなのだろう.
