自分が多分理解し違えたのだと今では思うが,小学生の時先生に静かにしなさいと教育された意味が最近ようやくわかってきた.小学生の自分は静かにすることは良いことだと思い,一日中静かにしていた.そのおかげで今でも静かでない環境に出くわすとその時の先生の指導が頭を過ぎる.
確かに静かにする方が才能が伸びるらしい.それは静かなのだから何か考えることに頭を使うので能力が伸びていくのはよくわかる.でも,自分は極端にも一日中静かにしていたので,級友たちが騒いでいる意味や,何で楽しくしているか理解することが全く身に付かなかった.今でも場を盛り上げようとする人がいると避ける傾向にある.なぜうるさくするんだと心で思ってしまう自分を隠すために.
高校の授業に価値を置かなくなった理由もクラスにうるさい人が多くいたことが発端だが,ただ単にうるさいと片づけてしまわずに,もっと異なる見方ができれば良かった.そうすればもう少し社交的な人間性が身に付いた.でも,静かにしたいのは自分の欲に過ぎず,本当はどこへ行っても静かでいたい.
この価値観はところが自分だけのものではなかった.妻もこの点に関してほとんど同じ価値観を持っている.無駄な口は利きたくない,静かな男がいいと.だから今の生活は口で何か言うことが極端に少ない毎日だが,互いに充実した時間を過ごしている.人生は分からないものである.
