高校の倫理の参考書を久しぶりに読み始めた.もういちど読む山川の倫理.イエスやパウロやルターが載っている.ふとクリスチャンになって以来,高校倫理を勉強していないと思い,キリスト教が人類史の中でどのような存在なのか学びたくなったのだ.この本は現代社会の問題提起もしていて,情報通信社会にまつわる人間と情報の間に,ある鋭い記述があった.
自分は普段ウェブのエンジニアを職とし,一日に数百のHTMLタグを打つ,いわゆる情報を生産している立場だ.通勤時はウェブのニュースアプリで国際経済や先端技術の記事を読んでいる.職場ではすごく静かで,朝の挨拶と帰りの報告のほか,一言も発さない日がほとんど.それはASDの特性からくると理解していたが,どうやらそれだけでもないらしい.
他者と向き合うコミュニケーションの能力の低下と情報機器の操作時間が比例しているらしい.一般的な傾向だし,時代が進めば適応転移して事情が変わりそうで,過渡的な見方だろう.もうウェブのない生活は考えてもみない.対面でコミュニケーションしなければならない目的がほとんどなくなっているところにいるうち,人間の発話機能は退化するだろう.
仕事が終わっても残能感があり,趣味に時間を割ける余裕があり,体力を温存しストレスを捨てる術も実践している.対面する発話と筆記する記述は異なる言語野を使う.発話機能を犠牲にする代わりに,かつての稀な人間の習慣を取り入れた生活ができるようになる.すなわち静かに思索し,情熱を制作に傾けることに軸を置く人生である.この生活のどこが問題なのだろう.
