恵まれたことに,一流企業に勤務経験のある人と話す機会があるのだが,ほぼ必ず自分のコミュニケーションについて注意される.自分のコミュニケーションの能力が低いことは感じているけれども,どのようなコミュニケーションが望ましいか,コミュニケーションの目標や理想を持ち合わせていないので,対策も考えていない.だから改善しないのだと思ったのだ.
コミュニケーションの定義は正解がないようでいてあるような気もする.気持ちよくさせることが目的である気もする.気持ちよくさせた人とはまた話をしたくなり,交わりが続いていくのが一般的かもしれないが,自分はコミュニケーションの方向に関しては例外派で,無理して直そうとすると思考が混乱しかねないので直りはしない.少なくとも迷惑にはならないようにとは心掛けている.
自分はコミュニケーションの「つぼ」が誰とも合わない学校生活を送って社会人になった.表面で合わせることはできるが,親友は作れなかったし,機会を活かすこともしなかった.それでも今は障がい者の友人が数人いて,満足しているし,第一,妻と結婚できたことは生涯の喜びであるし,教会で「すごい人たち」と話しができることは奇跡に近い.
コミュニケーションについて注意されるくらいなら,ずっとひとことも話さずにいたい性なのだが,そうもいかず,自分の話をしたり,ウェブ技術の話をしたりする中で面白いと感じてくれる話があるならその場は成功である.でも自分は話の中で馬が合うことは友人以外では稀なので,取り繕うための技術を学んで凌いでいる現状をどうにかしたいと思ってはいる.
