面白い本,それは数限りなくある.今まで買って手元に置いている本は,どの本も楽しめる本であるゆえ,手元から離れられずにいる.こうした本が積み重なると,ある疑問が起きる.今までの本に対する立ち位置は,ひょっとするとまだ浅く,本当はもっと深い態度があるのではないか,という気づきの広がりである.
ひとつに,本の中に感動した一文があればその本を買った価値があった,という見方である.もう長いことこの考えで読書し続けたためか,蔵書が膨大になったのだが,確かにこの観点は自分にとって重要な一節を着実に多く得られる点で利点もある.だが,本当は,一文しか残っていないのだから,まだその本から吸収していない文たちが本に隠れている,とする方が,その本の価値を見直せる.
もうひとつに,一字一句読まないとならないという強迫についてである.初めから終わりまで一貫して読んでいくというこの方法は,達成後の感動は大きかろう.しかし,この読書法で実際に記憶に定着する文の数,行動を変える文の数,思考の糧になる文の数は,最大化できるだろうか.否である.もし本気で身に付けたい本に出合ったら,繰り返し読むほうが良い.読み切った感動は束の間にして,時間をおいて何度も読む癖によって本当に血肉になる.多くの本を読むより,一冊の本を繰り返し読むほうが,多く教えられる.本当は蔵書に数百冊も必要ないのかもしれない.
最後に,一回も読み通さなかった本,一回だけ目を通した本,本文さえ全く読んでこなかった本,そうした本は,背表紙によって豊かな気持ちになれる.タイトルで購入した本は,本当は期待する内容があって,本文を想像して,買ったはずだ.されば,本文を読まずに,期待した本文を想像して書いていくという遊びが成り立つ.ともかく,本の読み方を多面的に見直したら,読書への見方が変わるという話であった.
