社会人になるまで,友人を作った経験があまりなかった.友人ができなかったのだ.小学生のときは,家に毎日たくさんの同級生が集まったが,彼らの殆どはゲーム機とお菓子がお目当てだった.中学生になると,学校生活中心となり,殆ど誰とも話さなくなってしまった.高校では,発達障害を呈し始め,話すことができず,登校もできず,成績は良かったが中退,唯一連絡を呉れた級友には絶交を申し込んだ経験がある.本当に申し訳ない.できるなら謝罪したい.
大学に入っても,交友は難しかった.入会したサークルは次々にすぐ活動がなくなり解散した.夜に渋谷や原宿でホームレスを観察し,休日には上野や清澄白河にしばしば行った.独りで行動することが多かった,そのことは悪くない習慣だ.大学院の研究室で初めてなんでも話ができる人たちができた.それだから大学院を修了する送別会では泣いてしまった.感謝の涙だ.
翻って今である.妻は親友のような,先輩のような,老女のような面も見え,精神面での支えとなっている.精神病の症状はほぼなくなり,発達障害も軽快化し,服薬量も減る一方.妻は人生を変えた人物だ.イエスはわがよき友,という歌詞のある「イエスはわがすべて」という讃美歌がある.イエスを友とすることが許されてからは,次第に私生活で友人が幾人もできた.
発達障害を持たない人がどのような交友をしているか,たまに気になることがある.でも,教会で素敵な方々と毎週お会いできることを思うだけで,そうした思いはなくなり,心が晴れやかになる.神の国と神の義をまず求めなさい,そうすれば皆与えられる.イエスのみ教えのとおり,今とても豊かに暮らせている.友人はそんなに多くいなくてもいいと思うほど,ゆとりある暮らしだ.
