自分を育てた本がある.熟読を経験した本だ.最初の数頁を今でも暗唱できるほど読んだ本,原稿用紙に一字一句書き写した本,何日も何年も考えてやっと理解した本.本は人を変えてしまうし,人は本で変わってしまえるからすごい.同じ本で同じように変わった人はいないと思う.本は人を珍しくする道具なのかもしれない.
本の配合は人の書く文に表れる.書くことに慣れて,読む本もなくなってきたと思うとき.今ここに差し掛かっている.読むべき本がないと思う反面,読みたい本が溜まり,かといって昔ほど鮮やかな読書ができそうもないと思える.読書の比重が下がり,制作の比重が上がる.抜け落ちた知識を拾い完全に近づけ,新しい知識を生み出す可能性が人生を照らす.
人生は有限だから読める本の冊数は限られている.読む行為が快楽だから読む,そんな気がする.どれだけ読めたかとか,何が得られたかとか,何に使おうかとか,本当はどうでもいいのかもしれない.ただ読むことを楽しいと思う,それだけが読む目的であるように思える.一冊の本に対峙する真摯な姿勢も,背表紙を並べて内容を瞑想する時間も,本と自分との自由で深い関わりかたである.
実際,読書とは,背表紙を見ること,本を開いて読むこと,本を閉じて感想を抱くこと,この3つであると思う.これら以外のことはどうでもよく,そのどうでもよいことが本の快楽に変わっていく.本は人生にとって楽しいものであり続けるべきだし,本で変わっていく人生を味わい知るべきだし,助けられ感化され導かれる本たちにもっと感謝するべきである.
