理屈と理論.この両者には大きな違いがある.理屈は文で表れる論理で,誤ったあるいは下らない論理は屁理屈というが,理屈や屁理屈も人間を人間らしくあらしめる特徴なので,否定することは決してしない.第一,この部録で展開している文にも屁理屈が遺憾なく表れていよう.理屈や屁理屈が時として誤るのは,理屈通りに動かないからだ.理屈には種類がある.心情が関わるもの,現象を予期するもの,単に言語遊びのようなもの.他に言い訳や謝罪や捨て台詞など,理性が働くところ理屈はある.
理屈が通らない場面で必要な理屈の性質は,合目的性,期待性,予測性があるだろう.道徳に適った理由,将来に期待させる宣言,普遍性のある法則.この理由,宣言,法則は理屈の一種であるが,人はこれらを好ましいものとして受け取る.そして,これらのいくつかは人類史に残っている.というのも,理由も宣言も法則も,進化や政治や科学を形成してきたからだ.単なる理屈ではなく,秩序を説明するのが理論なのである.
理論は理由や宣言や法則を応用して物事を現象として説明する.理論に当てはまらない事象が現れると,説明できるような新しい理論を考え出す.特に数学を使う理論では,計算によって少ない数式からすべての事象を説明しようとする.数学を使う理論は,放物線のように理論通りに現象が再現されると,確実さが増す.数学を使わなくても,蛇口を捻れば水が出ることを,水道管の仕様から説明するほかにも,気温や気圧のおかげで氷や水蒸気にならないという理由もあるし,水道局の職員が品質の良い水を提供するべく仕事しているからとの説明もありだ.
理論は現象を説明するだけでなく,現象を予期する.現象は予測できるから,理論は単なる理屈ではない.論理で物事を捉えるところに人間の進歩があったし,論理で捉えきれないことはどんどん減っている.これからも論理で世界を捉えようとする活動は収まるところを知らないだろうし,人間の進歩も実はますます促されるだろう.幸い神さまは論理で捉えられるように万物を創造してくださり,神さまの恵みは論理で捉えきれないほど与えられている.現代の幸福の源泉も,依然としてここにある.
