明日は給料日だ.毎月充分すぎる額が振り込まれている.年金も2か月に1度.合わせて年収400万円である.世の労働者の平均がそれくらいであるが,それにしては恵まれていると思う.自分の働きの数倍は貰っている実感がある.自分の労働が給料に見合っているかといえば,全然給料のほうが高いと思っている.以前長く勤めた職場が最低賃金だったこともあろうが,自分の働きに見合う年収は精々240万円程度だと思っている.
貰いすぎているという実感は,自分を幸福にしない.年収が増えたので不幸にもしないが,お金が増えてうれしいから幸せだ,とはならない.給与も年金も税金で賄われている.先に書いた以前の職場も,間接的には税金で運営されているのだが,年収200万円程度だったため,国からのお情けだと納得しやすかった.最低賃金で賄う生活は多くの幸せを運んできた.この体験は自分の人生に大きく響く貴重な経験である.
年収が増えて良かったことは,知らぬ間に貯蓄と株券が増えて,将来長く生きる道筋が立ったことである.一方で,お金の価値がよく分からなくなり,自分の能力の成長も実感しにくくなり,なんとなく人生が簡単になってしまった.平たく言えば,楽になったのだ.楽しいかといえばそうでもないので,新たに楽しいことを探している.お金がかかるからと避けていたことも,少額なら楽しむことに使うようにしている.
嘗ては社会の底辺で高々だった鼻柱は圧し折られ,特に最近は自尊心もすっかり凋み,自分は随分と小さくなった.しかし,最も小さい者が最も偉い,というように,人生の道としては誤っていない.謙虚さを身に付ける必然が訪れたのだ.自分はこれからもっと恵まれる.様々な面で豊かな人間になっていく.教養が必要な立場となり,反面教師としてではなく人間性を人に思われる人物になる理由が出てくる.今はただ自分を縮める時期である.
