自分は交友が狭い.小さい頃からそうだ.本当は,人見知りせずに誰とも話しができるけれども,親しくする人はいつも5人もいない.自分から交友を断ったことはほとんどないので,向こうが嫌った場合は多いのだろう.それに,正しくは,人生で一度だけ交友を断ったことがある.忘れまい,高校の卒業式の次の日,精神科に通院する前日にだ.その彼には実は大変お世話になった.
高校へ入学し最も驚いたのは,知人がどんどん増えていったことだ.当時は携帯電話が普及し始め,インターネットで掲示板が手軽に作れる時代だった.当然,うまく使いこなせない人もおり,自分もその一人だった.多分,携帯電話やインターネットが,自分の高校生活の鬱屈と屈折の,きっかけでもあり,救った存在でもあった.自分とインターネットの出会いは,大学で専攻した後も,技術を尖らせて今では仕事にしているわけだから,それはもう人生を決めた出会いだった.
ところで,その彼は,高校へ入学し,初期に友人となった人だった.信じられないほどの経歴と性格の持ち主で,体格も容貌も目立っていた方だと思う.その彼が,友人として,自分が高校中退後も連絡を呉れた唯一の存在だった.自分の浪人生活は予備校と自宅の単純な往復だったのだが,唯一,彼はメールさえも呉れた.ASDによって友情を育めない特性を持つことを当時の自分が知っていたら,彼もさほど傷つかなかったろう.
彼は長らくボランティアを率先していた.今では特別支援学校で先生をしているそうだ.そんな彼だから,自分がASDを持つ障がい者だったのだと判っていると思う.もしもう一度連絡することが許されるなら,まず謝りたい.そして,思春期を友人を作れずに過ごす危うさについて語りたい.親交を回復することは望めないだろう.だが,自分の生涯一度の絶交の申し出を受け入れてくれた彼には,今でも時折,感謝している.
