机に厚い本がある.全部読みたい.全部読んで頭に全部入れたい.でも何のために.新しいものを考えつきたいからではないか.だとすると,この読み方は良くない.全部読んで記憶に留めてから,新しいことを考えつくまでには,十年以上かかる.一大事業である.一冊の本に過ぎないのに,向かう時間が長すぎる.本を少なく読む知識人もいる.冊数さえほとんどないにもかかわらず,賢明に働く社会人もある.本とは何で,何のために本は読まれるのか.
読書家といい本の虫といい,彼らにとって本とは文学であり随筆であり詩であろう.朝方に読む本,通勤用の本,はたまた温泉旅館で読みたい雑誌,など,人生の節目に本はともにあり,人生に味わいを加える.ところが,技術屋にとって本とは技術書である.数冊を身に付けるだけでも職務能力が育つことは,技術屋なら誰でも知っている.なぜなら,一度身に付けてしまえば,応用してなんとか仕事になるからだ.技術屋はそれを基礎,基本という.
こうして読書家も技術屋も,本を大して読まなくなる.人生のある年齢を境に,本は読まれるために買われなくなる.収集欲や記念購入のために買われることも多くなる.一から最後まで読み通した本は,限りある冊数に過ぎず,その中に大切な本が数冊,秘められる.大切にする人が多い本はいつか必ず傑作と呼ばれ,古典となり,歴史で紹介される.多くの人にとって本は全て読み通すものではなく,読み耽る本の選択は自由である.
考えてみれば,本と自分の関係はときどき見直したほうが良さそう.本の一節が大きな変化をもたらしうる.最近の本は数世紀前の本より読みやすく,情報は大量で,見た目も良く,安価で済む.考え収められないほど大量の情報と付き合うため,私は「一日一識」を継続してきた.「ひとつ知れたらその日は良い日」.これを努力というなら実に楽しい.身を粉にする努力,そんなことができるならなんでもできるだろう.人間,そううまくあり続けられない弱さがある.
