大人は知ったことを言う.若者はそう言う.しかし,その真の意味を知っている若者は少ない.大人に対する反発や論理への疑いから,社会を見るものさしを追究する道に入った青年もいただろう.けれども,その言葉を私はこう捉えてきた.「知識は廃れる」と.既存の知識の中だけではうまく生活できないというわけだ.
「知識は廃れる」は,聖書の中の言葉である.聖書は知識を軽んじるのではないが,知識より知恵を重んじる.論理を重視するわけでもなさそうだが,感情的になることを再三戒めている.大人が知ったことを言うとき,その人は自らの感情を,知っている論理で宥めている.知識は正当化に役立つのみである.
自分やその周りを正当化する知識を求めるのではなくて,神への感謝で感情を整えることもひとつの知恵である.知識にもいろいろある.非物質分野の科学理論,批評評論,時事報道なんかが当てはまるだろう.今となっては役に立つ知識も多い.語学,物性,プログラミングは大いに役立つし,追求も楽しい.
若者は反発することを言う.大人はそう見る.しかし,その効果を知らない大人は少ない.いつしかの若者は,今の大人である.若き日に反発しなかった大人はほぼいない.「知識は廃れる」の真の意味とは,正当化する論理を追究していないで,感謝で心を満たしなさい.正当化の道具なぞ廃れるほかない.そういうことかと今なら思う.
