なんでも,知らないままにしてはいけないのかもしれない.けれども,知るにせよ高が知れている.物事を完全に知り尽くせることなどない,と思いながらも,物事を完全に知り尽くせる理論法を求めている.物事を知るとは,ある見方で見ること.その見方で広く見渡せられれば,つまり広く知ることにつながる.ある見方で見る人は知識豊富だが,知らないままでいる事柄も本当に多い.
知るとは,ある見方で見るとどう見えるかを考えてみることだ.見方を持つ人は,まだ考えたことのない事柄について考えて,ある考えに到着すると,その事柄を知ることになる.その知識以外の異なる見方があることを,もちろん承知している.だからこそ本を読んで異なる見方に触れるのだ.本とは異なる見方を提供するもの.本から得られる新しい知識とは,知らないままだった事柄を著者の見方で見ることだ.
本とは何か,考えてみたところ,著者の見方で事柄を見て,新しく知ることだと思う.だが,異なる見方もある.その異なる見方の一覧が手元にそろっていれば,なんと豊かなことか.総合大学のシラバスを見ているかのような読書体験.学校の時間割,教科書の目次,定期試験の内容.今思うと,楽しんでしまう.こんなにも豊饒な学びを経験していたことを改めて知るのである.
大人になってからの学校は,本当に面白いものだと思う.定年後に大学生になるとの夢を持ったビジネスパーソンを知っている.なんというか,科学の未知の領野,外国文化の現代事情,人類や地球の歴史,そうした教養を求める心が,多くの人にいずれ宿るのだと思う.自分一人で学べる人は学習を進められるが,そうでもない人は学校を希望する.普段,勉強できずに過ぎてしまう時間が多すぎるのである.

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