玄米茶のおいしさに感動した.私は玄米茶を知らなかった.きょう食卓の整理をしていると,箱を見つけた.中には妻が買った紅茶やハーブティー,中国茶,玄米茶が入っていた.いずれも賞味期限が大分前に切れていた.私はそのうち玄米茶を飲みたいと思い,お湯を沸かして濃い目に淹れた.湯気と共に鼻腔に当たる香り.玄米の甘い飲み口の良さ.とても幸せな気分になり,残り10包を飲んでよいか,妻と交渉しようと思った.
以上の私の行動事実を読んで,私がいかに非常識で無知な人間かと感想を持つのが普通なのだろう.私は最近自分の言動の受け取られ方に厳しい目を持ち始めている.普通なら,玄米茶くらいでおいしいと思わないのかもしれない.賞味期限が切れていれば即座に捨てるのかもしれない.賞味期限の切れた玄米茶をおいしいとわざわざ書き記すこともしないだろう.しかし私はそうした.こうして私は非常識な人間と烙印されるのだ.
なぜこんなことを考えたかといえば,無知であることが幸福を連れてくることだってある,非常識だから世界を柔軟に生きられる,そういう利点もあることを,私はよく知っているからだ.プログラマは無知な人間の多い職種といわれるが,未来を開拓するのは無知な人間である.なぜなら常識はすでに誰かが作った事柄の中での話なのだ.私の生み出したものを認めてくれた方々が,常識を持っていてくれてありがたいといつも思う.
常識があるからこそ,新しいものを理解できる.常識が世間を守っている.世間は新しいものや便利なものを求め,さらに生活を向上させたいと思う.だから新製品の噂に追いつきたいとばかりに情報を得ようとする.そんなとき考えることは,私にもこんなアイデアがある,私ならこうする,というまだ常識になっていないアイデアの実現である.知恵は賢さの徴である.しばしば賢さは無知を基に生まれる.この人間の不思議さ.

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