学校へ行くことが必要かについて,私はノンである.常識を学べるので社会性が身に付くと大人は考える.確かに常識が身に付いていれば判断が助かることは多い.でも,常識や社会性を身に付けたうえで,それらを疑い,根拠やその本質を考え,それらに捉われない知性を磨ければ,義務教育及び高等教育にはそれなりに意義があるのではと思う.
私は高校を中退脱落したが,在学中は素粒子や細胞から人間や宇宙まで自然のミクロとマクロの構造の実相について,力学における遠隔力否定説について,J.S.ミル倫理学原則の例外と反証について,景気循環説とスミスの需給関係との間の商材を介した直接的関係について,などとそういったことを考え,授業も休み時間も睡眠学習していた生徒だった.
考えることがたくさんあるのが学生である.その高校には数学の才能や物理的論証の才覚の持ち主はいたが,同じ主題を考え合える人物はいないし,いないならいないで私から議論を吹っ掛ける能力を私は持ち合わせておらず,大変歯痒い思いをした.もう志望校や受験勉強なんてどうでもよかったし,エリートコースや官僚や有資格者には絶対なりたくなかった.
私は今,いくつかの主題を追究し終えた.満足いくまで遂げたのは,高校生の時から考えていたからである.もし大学に入った後に研究主題を探しては,一生懸けても間に合わなかっただろう.高校までの過ごし方がその後の人生を決めるというが,私とて例外ではない.高校で懐胎した夢や目標は叶うのだ.何になるか,何をやるか,それを叶えるのが学校である.

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