主夫の傍ら,日曜数学者として活動している.保坂和志が伝聞で書いているように,数学はティーンエイジャーのうちに芽が出ないと見込みがないといわれる.高卒までに問題意識をもつだけでなく,解法,予想,装置を発明するかしないかで,数学人生が決まる.こういうと数学から離れてしまう人がたくさんいそうであるが,数学に貢献したいなら,部活動や受験勉強などしていないで,図書館やWebで数学やその周辺分野の文献を何度も読むべきである.18歳までに触れた物理や化学,哲学や建築や芸術が,その後の数学活動の内容に濃く影響するのである.18歳までに極めた分野ができたなら,その後の研究活動も捗るに違いない.
私はといえば,建築を1年間,哲学を半年間,極めた.14歳に抱いた「ペースの数学」の考え方が,建築の発想で「ポリゴングラフ」として結実した.また,18歳の時に発案した「複素空間」のアイデアが,12年かけて「位数部」の発明となり,その考えがポリゴングラフの特徴と組み合わさって「リープグラフ」に発展した.その背景には17歳のとき数学の授業中に「log(-1)」について関心が芽生え,論理哲学と観測問題という誰も解いていない問題意識を植え付け,次第に情報理論との関連を見出し,最後は「複素確率」となって形を現した.
数学の研究とは,頭に図や文字や形に操作,つまり補助線を引っ張ったり,図に記号を書き足したり,文字を両辺にくっつけて計算したり,といった論理操作によって,説明できることが多い道具ほどしばしば単純で簡潔で価値があり,それが美しい.数学の考えができるようになるには,帳面を目の前にするときだけ頭を働かせるのでは足りず,むしろ普段の時間から図や文字や形をくっつけて,風呂や徒歩や就寝時に寝かせておいた端糸を操作してみて,うまくいかないことのほうが多いがひらめきが得られたとき考えていたことが一気に進む.それが数学を研究する日常である.
もちろん意識しすぎても思考が自由になりにくい.そういった思考の脳的制約は数学でも当てはまるので,脳の機能を学ぶと効率よく数学の研究が進む.また,アイデアを出す方法や管理するツールもまた役に立つ.さらに,神様に向かって祈り求めれば,ひらめきや霊感が与えられる.求めれば与えられるのだ.このように,数学の研究は特に変わった人が行うものでもなく,変わった人が行うにしても,変わった脳の持ち主にしかできないことでもないと思う.高卒までに脳を開発した数学志望者なら,必ず新しい成果を残す人になれる.私はそう信じている.数学にはまだたくさんの発見が埋もれているはずだから.
