目的の王国とは,世の終末すなわち神の国を意味する.「終末τερος」とは「目的」という意味である.哲学者カントは神学的に理解されるべきだが,高校倫理では宗教的意味づけはなされない.カントの目的の王国は実現したら素晴らしいと思ったものだが,神の国のことだと思うことはなかった.イエスによって神の国はやってきて,徐々に広がり,いつかは知らねどこの世は終わる.きょうの礼拝で得た知識だ.
人間はいったい何者で,なぜ神さまはみ心に留められ,顧みてくださるのか.私が信仰を持つに至った詩篇のこの一節が,今無限の興味を惹いている.考えたって分かることではない.歴史上の幾人もの偉大な人物の見識を追ったって,満足できる答えが得られるとも限らない.ただ,私は今パスカルのパンセとバッハの受難曲とヴェイユの短文集を読もうと思っている.机に置いてきた本や音楽たちだ.
パスカルのパンセには最後こう書かれる.「悔い改めるだけではなく,悟り求めることだって神の赦しに必要だ.真理を悟らなくては本物でない.」私はもっと悟らなくてはならない.礼拝で賛美する中で,悔い改めるだけでなく,説教で悟ることを重ねねばならない.だからもっといろいろな本で勉強しなければならないし,広く考えていかねばならない.今の自分の認識では夢想的で浅い眠りのようだ.
神さまが共にいる.その意味,その実感を,いつもいつまでも感じたい.見えない目に頼るのではなく,きよい聖霊によって悟ることを習慣にしたい.いつも祈ってはいるけど,もっと神さまを求めるようにすれば,この世の知識とは離れてしまえど,本当の生活を神さまはくださる.恐れずにもっと神さまを祈り求めたい.いつも共にある神さまともっと話がしたいし,神さまにもっと知られたい.

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