私は県下最難関の高校に在籍していたことがある.ただし2年間.尤も通学していたのは最初の1年間に過ぎない.2年目は毎日遅く登校し早めに帰路につき,市内を自転車で乗り巡っていた.高校生活の半分は勉強ではあったが,3割は街の風景を味わい,2割は図書館で勉強していた.ただ受験勉強は少しもしなかった.大学受験では受験を意識しなかった勉強法つまり一般教養で解けてしまえたから.この高校が重厚な教養主義を標榜していたので,自然に勉強法が変わった.そんな受験を意識しないで国立大学に合格した勉強法を紹介する.いずれも自分で編み出したもの.
英語
授業は読んで訳す内容だった.予習し準備する学生もいたが,特に何の準備もせず臨む人もいた.そのいずれでもない方法を採る人もいたようだった.私は何の予習もしないでどれだけ即興で訳せるかという練習に授業を使っていた.なぜなら会話も通訳もアドリブだから.大きな問題はなく,試験も8割は取れていた.
数学
数学だけはどうしても好きでもっと学びたいと考えていた.授業で星マークの難問を大学ノートに解いて提出していたので,通信簿は90点を超えていた.定期試験では60~80%の得点になるように調整して解答し,少し下回ったら責任をより引き受けられるようにしていた.100点満点ではなくて80点満点で何点取れるかと課していたのだ.
国語
この科目は余りに授業が退屈で,ほとんど欠席した.試験で8割は取っていたが,出席日数の件で評定は60点台のときもあった.本当につまらない授業だった.どうして1回で読み取れるものを何度も同じように繰り返すのか.国語の授業の代わりに市内の図書館で芥川賞全集を読み漁っていたが,このほうが身のためになった.
家庭
この科目は最も好きな科目だった.料理の授業ではフライパンを振るうだけで誉められたし,洗剤は油汚れのときだけ使えばいいと教えて感心されたこともあった.試験は90点を維持し,通信簿も90点が出ていた.結婚して主夫になるかもとか,独り暮らしでも楽しめるようになろうとか妄想していたものだった.
倫理
いわゆる哲学の授業.黒板を1文字も写さなかった.全部自分の頭で考えたから.試験の答案も自分で考えたことしか書かず,誰かの思想を紹介するような文章は書かなかった.試験は赤点しかとったことがなく,通信簿も落第寸前だったが,大学受験2次記述試験で選んだ科目は倫理で,自分で考える習慣により合格できた.
社会
ほかの社会科の科目は,今では何も覚えていない.新聞を勧めていた先生や,イエケモンゴルウルスを語っていた先生に習った覚えはある.細かいことを覚えることに当時強い疑問があって,歴史の一齣ではなく時間や空間のような大きい中性的概念で論を進めることを好んだ.新聞は今は読まなくなった.
理科
理科は勉強しなかった.少しもしなかったといっていい.特に物理は倫理と同じように何でも自分の頭で考え,身近な現象がなぜそうなるのか,授業で得た知識で説明できるものだろうかと自転車での市内散策のときよく考えていたものだ.結局考える習慣のおかげで理学修士号を取れたのだ.
美術
芸術は美術を選択し,銅版画や油彩もした.級友が「偏在的意識の普遍化」というある作家の言葉を教えてくれて,この普遍化を美術の時間におこなってみた.つまり美術の時間を創造性のための脳の意識的改変実験のために使っていたのだ.この級友とさぼって近所にラーメンを食べに行ったこともあった.
総括
この高校は受験勉強をする場所ではなかった.受験勉強を不要にする学校だった.受験勉強というのがどのような勉強を指すか私はいまだ知らないが,私には受験勉強をした覚えがない.むしろ大学のほうが中学校的だった.自分の頭で考え,好きなことを追究し,精神を実験する.この習慣を養えた環境だった.これこそ重厚な教養であると今は思う.
