学習の目的について考えておきたい.今,学習すべきことが山積している.音楽についてだけでも,楽典,鍵盤,発声.いずれも脳と身体を駆使する訓練である.また,AI,DX,VR/ARも学びたい.学生時代に無意味に覚えた英検1級の英単語を使って作文がしたい.数学の研究も進めたい.聖書やその周辺の文献を読みたい.やりたいことがたくさん.その割に,学習効率を考えていない.好きなテーマと時間を共にする体験を持ちたいからだ.
そう,文字や記号と触れ合う時間を作ることが,私の学習の目的である.効率や結果は二の次かそれ以下でどうでもよく,実際的な知識やノウハウを得たいとも思わない.私はただ記号の世界に住み,記号に囲まれた空間の住人として時間を過ごす,その記号と私との間の時空を何よりも好んでいる.私は記号と常に共にいたい.記号が紙の上やディスプレイの面に羅列され,離れた後も脳裏を記号たちが常に回り,浮かんでは消える記号の意味やそのずれや新たな結合に期待し,新たな記号列を生み出すこと.それが趣味である.
このような趣味を持っている人はおそらく現代にあっても少ないのではないかと思う.もし居たら会ってみたい.正確には会いたくはないし話したくもないが,その人が書いた文章は読んでみたい.やはり私のような奇特な世界を構築しているはずだが,私の世界とその人の世界は異なるだろう.全く同じ記号列に囲まれてはいないはずだ.もし重なって共有している記号があるとするならそれは悦びになるだろう.
私は知識が豊富だと思われることがある.でも中身はないのだ.ちゃんと大学で学問を優秀には修めていない.仕事に役立てることもできない大変な劣等生だった.しかし,趣味の範囲は広く持てている.なぜなら趣味であるはずの領域についてほとんど知らないし,いくら勉強しても知らない状態を保っている.だから私は勉強も仕事もできない人間であるはずで,今はたまたま趣味の一部が職能になったので稼いでいるが,記号に囲まれた仕事ができて奇跡にも生きている.神さまの恵みと導きに他ならない.
