適切な表現ができるようになりたい.日本語を使う場でもそうだし,英語でも.いつもいろいろ考えている.雑事も多い.自分と向き合った結果の自分の言葉を鍛えるには自分でいろいろ考える他ないと思うので,読んだ量以上に考えたことを記録している.それは信仰の上で妨げになることもあるが,補助的に役立てられることもある.今はどうやら情報の入力が多すぎて,充分に表現することが難しくなってきた.
なぜ表現が難しくなるほど情報を取り入れているか.不足を感じるからだ.これは広く現代人が罹る固有の病のようなもので,情報を得てもっと広い視野を手に入れたいとか広い知見を身につけたいとか,そういう欲に応える形で情報技術が発展している.この欲には限がないが,過去の哲人もこの欲にだけは抵抗しなかった.望ましい人生の形式だった.或いは多くの情報を理解できることは高い教育の証だった.
この情報の多さに対し,教育を高い水準で受けてきた或いはハードに勉強してきた人たちは,この情報社会で享受するものが多いと想像される.しかし,際限のない努力をこれから積み重ねたとて,収入を上げたり喜んで学んだり教えて役立つことを目的にできなければ,続くこともなく無駄に終わる.やってみたいことを持っているか,やってみようという気を持つほどの余裕を持てるまで習慣にする必要がある.
いつだって始められていつでも諦められる.時間の自由があればそう考えられる.人生の時間に無駄を許せば,無駄なほど豊かになることを実感する,そういう時代環境である.閑暇を持った人こそが,歴史的な意味でも人生の勝者である.もっと適切に表現できれば,より適切な閑暇を過ごせるだろう.無駄にならない無駄な取り組みである.適切に時間を無駄に過ごすことが豊かさに直結するように思う.
