お金の価値は年齢で逓減する.これを聞いて納得したのでお金を貯めていないで少しは使おうと思うようになった.この言明は哲人セネカも言っている.老いると若い時にできたこともできなくなるから,若いうちにお金をあまり惜しまず経験に使った方がお金を有効に使える.老いてからの100万円と若い今の100万円は,後者の方が有効に利用できる.老いた暮らしは思い出という不可侵の資産が残るから,貧しくても幸せだという.
私がお金を使いたいことは,健康と知識と献金である.主にこの3つにお金を使っていれば充分幸せだと感じる.あまり多くのことに首を突っ込んで中途半端に世界を知ってしまうことを恐れている面も否めないが,私にはお金をさほどかけずに済む趣味がすでにいくつか身についており,それぞれが生涯にわたり追究するに値する趣味だと感じられるので,どれも続けていけると考えると,これらでもういっぱいなのである.
古代ギリシアの時代に学ばれた語学と音楽と数学と天文学を私は好んで学んだので,今ではそれらがお金のかかりにくい趣味になっている.今思えば物事から自由になるために必要な教養だったようにも思う.現に私は自由を謳歌し続けているし,世の人の想像上の平均に比べても自由だろう.クリスチャンの恵みである礼拝に出席し主を賛美することが幸福を揺るぎなくする.何かあっても主に祈れば良いのだから.
今の私は自由を持て余している感もある.やりたいことがあるのにやり遂げた感を多く持ちすぎてしまっている.やりたいことはいずれも追究の山頂への足取りである.今はそれらの目標を見極める時である.いつまでにどこまで登れるか.その設定によって今後10年間の幸福,働き盛りの序盤の幸福が決まる.どうやら山頂はひとつだがいくつかの総合として見えている.その総合が私のために主が備えている山頂なのだろう.
