自分が世の中で希少なものを持っているという意識は特になく,実際そうであろうと思う.属性的にはクリスチャンでありプログラマであり日曜数学者でり合唱団員であり若い割にボランティアをしている.珍しいと思う.これと同じ属性で生きている人間は恐らくいないと思う.社会は思いの外狭いから,私を知る人が増えたら私が本当に珍しい人物だと知られてしまうかもしれない.
珍しくあるためには,珍しいと思う人が多くいることが必要である.認知されていなければ珍しいという価値も付与されない.珍しい人はいずれ知られることになるだろう.けれども,珍しさを収入に繋げる仕事を持っていなければ,珍しくても知られないこともありうる.珍しい人物は有名になって稼ぐ.けれども,いつまでも珍しい人物も社会には多くいる.広く知られていないだけだろう.
人はある程度現実を知ることが重要だと思う.なぜなら自分の珍しい部分が判明するからである.多くの人にとって珍しいものを持っている人は真似できない存在だろう.私にもそういう人物がたくさんいる.私は知見が狭いし知り合う人も少ない井の中の蛙だけど,世間を広く知る人や交流を広く持つ人にとって,珍しい存在には魅力を感じるだろう.珍しいゆえに価値を感じるので,お金を出す人も少なくない.
珍しさで稼ぐには,ある時期に珍しさを売ることになる.一発で稼ぎ切れば早期に隠遁できる.その上で働き続ける選択も余裕でできる.そんな人生を選ぶには自分の珍しさを売ることになる.有名になってしまう.その対価として大きく稼ぐのだ.正しく稼いでも,いずれ名誉に傷つくだろう.その晩年の不幸に比べれば,珍しいまま売り出さずに隠れて細々暮らす方を選ぶ.これは今や珍しい生き方かもしれないけど.
