ストリーミングからサブスクを経てYouTubeに.音楽がこれだけ身近になった今,芸術に絶えず触れて生きることができるようになった.私の書斎には楽譜があり,文学があり,鍵盤もある.絵画を描けるアプリも,動画制作ソフトも,CGを作る環境もある.ことさら芸術家として食べていこうとしなくても,作品を作ることに専念できる.芸術の鑑賞も研究も制作も訓練も,身近なものになっている.
私が望んだ教育も影響はしているかもしれない.高校生の時には感覚が伸びるうちに感性を磨いておきたい一心で自ら美術学校の生徒になった.美大受験は失敗したが,大学で学んだコンピューター科学と反応し,今の職業にありついた.自分に作れるジャンルは限られているけど,作れるものは確実に増えており,ジャンルも狭くはないと思う.ジャンルが広いことは必ずしも良いことではないけど.
今もイメージには音楽の欠片と詩の一句とCGになりそうな自然的な映像が意識を占めており,書き留めていけばアイデアになるだろうと思うようなものが絶えず流れている.特に目を閉じるとCGのネタが放送のように流れ,これを記録すれば無限のCGや動画が作れる.こういう制作法を実践した芸術家を知っている.私も真似してみたいし,真似できると思う.CG制作の腕を上げることは来年の目標である.
つまり目を閉じるとそこに芸術が流れている.この認識は生活の極めて身近に芸術があると証明する.不思議だが人間の限界を見ると芸術の門が開くような気がする.限界を突破しようとした視野に,芸術の手が差し伸べられ,そこに霊感という翼を与え,自由に押し開いていく.神さまは芸術を終わりになさらなかった.芸術を滅ぼすのは人間,しかも往々にして優れた人間だが,芸術を与えるのはいつの時代も神さまである.
