人はしばしば悔いないように行動する.後悔のない結果を残したいからと奮起する.しかし,私は少し異なって考えている.すなわち,後悔するほど鍛えられる.なぜなら,神さまは悔いる心を軽しめられないから.悔い改めて初めて信仰が大きくなるから.こう言ってよければ,私は後悔しないように生きた数年間は空虚な時間だったと後悔している.これからは過去の行動を思い出し悔い改めて生きようと決めている.
例えば,私は肩書や出身大学に価値を見ない.それは私に理由がある.高校は全国有数の進学校だったが,2年で中退した.その後10年間を絶望で苦しみもがいた.大学は親の財力でどうにでもなり,合格した彼彼女らには採用の時点で将来の肩書が付く.これはつまらないことである.私が進学先の大学を選んだ理由は父の勧めだったが,全国で真ん中の難しさなので平均的な教育を受けた人が集まると推測したことにもよる.
高度に教育された人には私は興味がない.むしろこの社会で卑しめられた人々,義務教育もきちんと受けてこなかった人々,貧困な生活を余儀なくされ経済的に絶望にある人々,そういう人たちに関心を一貫して持つ.私も人生がやり直せる若い時代には,自ら貧困の暮らしを体験すべく脱サラし自給自足を試みた時期がある.これは大変に貴重な体験になった.その時に,貧困であっても幸福に暮らせることもわかった.
自分と立場の異なる人を理解するには,立場の異なるその生活を送ってみなければわからないだろう.両親に恵まれ裕福に育ち,立派な有名企業で働く同級生を見てきた.でもなんの羨望も劣等もわかなかった.自分の過去の軽率な行動を悔い改めれば,過去が財産となって人生を支える.後悔しないように努力するのではない.行動して悔い改めることこそ,人生を固く立たせる基礎となり,世の価値から自由にされる.
