セネカ「人生の短さについて」を繰り返し読んでいる.何度も参照すべき内容だと感じられる.人生は長くできる.なのに,つい多忙にして自分の手で短くしてしまう.この極めて短い現在を大事にするあまり,不確かな未来に期待をかけてしまうし,過去を振り返る時間を少しも持たなくなる.「今ここ」を楽しむことが最も大切だと言われる昨今,セネカは全く異なる人生観を残している.それゆえ,価値を感じる.
私は「今ここ」を充実させる罠を感じてきた.というか最近になって今ここを最も大事にする快さを知った.外食やBGMや軽い読書も,今ここの楽しみを最大化するビジネスだと思った.でも,私は長い間それが重要だと考えなかった.もっと大事な時間の使い方がある,そう考えてきた.だから昨今言われる今ここという価値観は現代の哲学者特有の見方に過ぎなくて,今の私はセネカのほうに軍配を上げている.
と言っても私もすっかり忙しい人間に成り下がってしまった.セネカの述べる愚かな人間に当てはまるふうになってしまった.でも,もう今や今ここに価値を感じないし,そうすることで過去を振り返る時間はいくらも持てる.振り返るべき過去は長く保存されている.まず手探りで発掘するわけだが,極めて輝かしい過去に見えるのではないか.過去は資産である.脚色されたって構わない.美化を肯定したって自由だ.
時間を持て余すから買い物をする.どこかへ出向く時,買い物をするためでなく,過去を掘り返すために歩くなら,かなりの節約になるだろう.方法は簡単だ.財布を置いて出発すれば良い.持ち物はメモできるスマホくらいあれば充分.過去を振り返ることが最も贅沢な時間の使い方だとなぜ私は今まで少しも気づかなかったのか.忙しかったから.マスメディアに「今ここ」と煽られていたから.過去を大事にしたい.
