過ぎ去ってしまった時間を思い返すためなら,いくらでも苦労する.過去を思い返そうと思い,いざ思い出してみれば,いくらでも鮮明に覚えているものだとわかる.まるで今さっき体験したかのように語り出すことだってできる.おそらく過去には時間がなく,全て過去は同じ籠に入っているかのように時間の区別がない.過去に時間軸はなく,ゆえに経過もない.一度得ると時間の制約から自由に取り出せる.それが過去だ.
経験に価値があるのは,その時間から自由になることのゆえである.小学生の時の公園での思い出を味わったと思ったら高校生の時に見た建築の光景に移り,数分も経たないうちに学生時代にさすらった海辺の様子が映り,次の瞬間には結婚して引っ越してきた街並みに心を楽しませる.それら経験は私しか持っていない.この世で最も貴重な所持品だといえる.だから私は過去の思い返しに資するものをいくつか買ってみた.
ひとつは美術学校生の時憧れた建築雑誌「a+u」のバックナンバーである.今や古本で1冊数百円で入手できる.30冊買ったがこれはさすがに買いすぎかもしれない.私は高校3年で進学校を飛び出し美術の道に進んだのだが,東京の街に出歩き水彩で写生を描き溜めていた.秋になれば神田の古本街に繰り出し,まだ大学生になっていないのに学術書を買い求め,精神に痕跡を進んで突き刺すように熱心に読んでいた.
もうひとつはその海外の文学文庫である.幼い頃から実家にあった世界百科事典を5日読んでみたいと思い,特に美術や歴史の頁は大学生の頃少し読んだことを覚えている.文庫で読んだ僅かの作品が,今までの自分を作っていると確信している.その文学がなければ今はない.当時憧れた作品を大人になった今読んでみることは,精神を初心に戻す意味があると思う.キリスト教に初めて触れた時の感覚も,今も決して忘れない.
