セネカの教えがよく効き,確固とした考えに変わった.思い出は財産であると.過去は時間に関わらず自分から離れない,そして自分しか持ち得ない宝である.だからこれから生活する時も多くを見て聞いて,思い出すようにすれば,人生に喜びが増し加わる.きょうお会いした声楽の師匠も,思い出すことは喜びであると言っていた.思い出すことは脳をとても深く使うことなので良いことだと最近は脳科学でも言われている.
過去の思い出話を敬遠する人は多い.老年になって昔話をするなとか,昔話を聞かされるのを嫌がる若者も多いと聞く.でも本当は昔話こそ話者も聞く側も豊かになれる時間ではなかったか.話す側は目一杯の記憶を呼び起こしてひとくさりの話しにするのだし,聞く側も過去の経験に学ぶことの多い有意義な逸話を聞けるのだ.こんなに両者が富める話題である.昔話をありありとできるような老人になりたいと思う.
私は思い出そうとすると,意外にも数十件の思い出が数分間に脳裏に映る.その思い出は光景が多く,人物はほぼいない.年齢もまちまちで,時代順でもなく,それなのに連想する因子は何かしらあって,そして意識的に切り替えたりと操作できる.自由な映画館のようで,みている間も見終わった後も豊かな気持ちになる.次々に掘り起こすこともできる.こんなこともあった,こんな場所にも行った,こんな光景が広がっていた,と.
思い出は確かに心を豊かにする.思い出が豊富であるほど晩年は豊かだ.師匠を見ているとつくづくそう思う.師匠の思い出話はいつも人物が登場し,才能や人柄への賞賛と,出会ってお世話になった感謝で結ばれる.こうした形で出会いと別れを経験しているなら,人生はさぞ豊かだろう.師匠はその人間関係を教会での交わりから学んだという.人間関係の拙い私もこれから学んで実践できれば豊かな人生になるのも遅くない.
